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東京地方裁判所 平成3年(ワ)16274号 判決

主文

一  被告は、原告に対し、金八三八万五三三一円及びこれに対する平成三年九月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

理由

第一  請求

一  (主位的請求)

主文第一項同旨

二  (予備的請求)

被告は、原告に対し、金八三八万五三三一円及びこれに対する平成三年一〇月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、振込依頼の撤回があつたにもかかわらず、これに気付かずに振込を実行したとする原告が、被告に対し、主位的には不当利得に基づき、予備的には返還約束に基づいて、振り込んだ金員の返還及び遅延損害金の支払を求めた事案である。

一  争いのない事実

1  原告(上野広小路支店)は、平成三年九月一五日ころ、訴外カネボウ化粧品東京第二東販売株式会社(以下「振込依頼人」という。)より次の内容の振込依頼を受け、これを承諾した。

振込人 振込依頼人

金額 八三八万五三三一円

受取人 被告

振込先口座 中央信用金庫綾瀬支店

被告名義 普通預金口座

口座番号一九三一九四

振込日 平成三年九月二七日

2  原告は、被告あて振込を実行し、同月二七日、前項記載の中央信用金庫綾瀬支店の被告名義普通預金口座に八三八万五三三一円の入金がされた。

3  原告は、同月二八日、被告に対し、前項の入金が誤振込である旨の説明をして返金を求めた。

二  争点

(主位的請求に関して)

被告の振込金の受取りが法律上の原因のないものであるか否かが争点であるが、具体的には、以下の点についての原告、被告の各主張の当否が事実上及び法律上の争点となる。

1 振込依頼の事前撤回の有無

原告は、振込依頼人が原告に対し、平成三年九月二五日、前記振込依頼を撤回する旨の通告をなしていたと主張するのに対し、被告は、右撤回の事実は存在しなかつたとしてこれを否認する。

2 振込依頼人と受取人との間の対価関係の存在により原告と受取人である被告との間の不当利得の成立が否定されるか。

(一) 被告は、仮に振込依頼の撤回が認められるとしても、受取人たる被告が振込依頼人に対し債権を有する本件では、被告と振込依頼人の間の対価関係に瑕疵はなく、仕向銀行たる原告と振込依頼人の間の補償関係に瑕疵が存するにすぎないから、原告と振込依頼人の間で不当利得の問題は処理されるべきであると主張する。

(二) これに対し、原告は、原告の振込は振込依頼人である債務者の意思に反する第三者弁済に当たり、振込依頼人の債務は消滅しないから、対価関係に瑕疵ある場合と同様に仕向銀行たる原告と受取人たる被告の間で不当利得の問題は処理されるべきであると主張する。加えて、その後、振込依頼人が、被告に対して有する商品代金債権をもつて、被告が振込依頼人に対して有するリベート支払債権をその対当額において相殺する旨の意思表示をしたから、対価関係に後発的な瑕疵が生じた場合ともいえると主張する。

3 表見代理又は追認の成否(その前提問題として、振込依頼は代理関係か)

(一) 被告は、仮に振込依頼の撤回が認められるとしても、本件において、振込依頼人は原告に包括的に振込業務を委任し、原告が振込依頼人の名前で第三者に債務弁済するものであり、これは被告にも示されており、被告においても受領銀行を指定し、繰り返し継続的に振込送金を受けてきたものであるから、右振込依頼関係は代理関係であるとして、次のとおり主張する。

〈1〉 授権行為撤回の表示が被告に到達していないから代理権消滅後の表見代理が成立する。

〈2〉 振込依頼人は、振込送金後の平成三年九月二七日、被告に対する本件振込金額相当額を原告に入金しており、無権代理に対する追認が認められる。

(二) これに対し、原告は、振込依頼は委任関係にすぎず、代理権授与ではないから、これを前提とする表見代理、追認の主張は失当であると主張する。

(予備的請求に関して)

4 返還約束の有無

原告は、被告が、平成三年九月二八日、原告に対し被告の口座に入金された八三八万五三三一円を同月三〇日に返還する旨約束し、さらに同月三〇日、重ねて右金員の返還を約したと主張する。

5 返還約束の錯誤無効

被告は、仮に返還約束が存在するとしても、それは錯誤により無効であると主張する。

第三  争点に対する判断

一  主位的請求に関する争点1について

前記争いのない事実及び<証拠略>によれば、以下の事実が認められる。

1  振込依頼人は、従前から次のような方法で原告を通じて必要な振込を行つていた。

すなわち、振込依頼人の親会社である鐘紡株式会社は、振込依頼人その他の関連会社の振込分も含め振込の必要な金額を一括して原告の事務センターに磁気テープ持込みの方法で振込依頼をする。原告事務センターは、振込実行日前日の夜間、機械処理の方法により、翌実行日コンピューター操作が始まれば直ちに受取人の指定する先方金融機関営業店(被仕向銀行)の受取人口座に原告の資金で振込を実行できるよう準備をする。被仕向銀行の受取人口座には、振込実行日の早朝のコンピューター作動直後には、入金が完了しており、受取人は、被仕向銀行の営業開始と同時に払戻しが可能となる。一方、原告事務センターは、振込依頼人の取引店である原告上野広小路支店に対し、同支店の営業開始後間もなく、振込を実行したので立替金を振込依頼人から取り立てるよう指示する(資金逆付)。資金逆付を受けた支店は、振込依頼人から小切手を受領し(前受領している場合もある。)、振込依頼人の当座預金から引き落として右立替金を決済する。

2  本件について、振込依頼人は、当初、前記一括振込依頼を通じて、原告に対し三八二九万六三四九円の振込依頼をしていた。

3  原告と振込依頼人との間では、前記のとおり振込依頼人が原告に対して振り出す小切手により、振込にかかる資金を決済していたところ、平成三年九月二七日に実行されるべき振込の決済のために、振込依頼人が、原告に対し振込実行日の前日である同月二六日に振り出した小切手であることが認められる甲一六の小切手の額面金額は二九九一万一〇一八円であり、当初振込依頼をした前記金額から被告に対する振込分八三八万五三三一円を除いた金額と一致している。

4  また、振込依頼人においては、平成三年九月二六日付で、被告を含む全チェーン店の六、七月分の報奨金の支払伝票を作成すると同時に、被告に対する六、七月分の報奨金の組戻し収入票を起票している。

5  原告から中央信用金庫綾瀬支店への組戻しの依頼は、振込日である平成三年九月二七日の午前一〇時二二分に送信処理されている。

6  甲一七の2の小切手は、振込依頼人が、平成三年九月二七日の被告に対する振込終了後、原告担当者からの、表面上の処理のため一旦振込依頼人の方で資金を立て替えて欲しいという要請に従つて被告に対する振込分の決済のため振り出したものであるが、原告が自らのミスを認めたために、同年一〇月一日には同年九月二七日起算で更生手続がとられて当座預金口座の金額が回復され、右小切手は当初から正規の決済には回されなかつた形で、振込依頼人に返却された。

したがつて、振込依頼人は、結局、中央信用金庫綾瀬支店の被告口座に振り込まれた金額の決済をすることはなく、同金額は原告が負担した形となつている(原告の損失)。

7  平成三年九月二七日、中央信用金庫綾瀬支店に対する振込依頼人及び原告担当者の組戻し返還の申入れも誤振込であるとしてされており、また、同月二八日に原告上野広小路支店長らが被告と会つた際にも、誤振込をしたことを謝り、振込依頼人がストップしてきたにもかかわらず送金してしまつたとして、誤振込なので返還してほしいと被告に申し入れている。

8  なお、原告における取扱上、振込依頼の撤回をする場合には、専用の書面がないため組戻し依頼書を転用するほかはなかつた。

9  振込依頼人は、平成三年九月五日付で被告に対し、八月分の商品代金の支払催告の内容証明郵便を発し、さらに、同月一八日には被告所有不動産に対する仮差押登記を経ている。

右認定の各事実に<証人M・Oの各証言>を総合すると、振込依頼人は、少なくとも振込実行日より前に、原告に対し甲二の組戻し依頼書によつて振込依頼撤回の通告をしていたことが認められるものというべきであり、この認定を覆すに足りる証拠はない。

二  主位的請求に関する争点2について

1  被告が、振込依頼人に対し、平成三年六月、七月分の報奨金支払債権を有していたことは当事者間に争いがない。

2  ところで、一般に、本件における振込依頼人と受取人とのような関係にある者の間での対価関係は存在するが、本件における振込依頼人と仕向銀行とのような関係にある者の間の補償関係が欠ける場合に、不当利得関係が問題となるのは補償関係が欠ける当事者の間であり、給付関係当事者(本件における仕向銀行と受取人)の間ではないとされているが、その理由は、対価関係の存在によつて受取人が対価関係上は給付を保持し得る根拠がある反面、振込依頼人は債務消滅の利益を受け、補償関係が欠ける当事者の一方に法律上の原因を欠く利得が生じると考えられるからである。したがつて、補償関係を欠くことから給付関係においても本来予定していた契約上の義務等に基づく資金移動の根拠を欠くことになる場合であつても、右のように対価関係と関連づけることによつて受取人において給付を保持し得るものとし、反面振込依頼人において対価関係上の債務消滅という利益を得るものと解することができ、他方給付の効力が否定されない場合には、補償関係当事者間で不当利得の問題を処理すべきものと考えることが可能である。しかし、逆に対価関係に瑕疵がある場合その他(意思に反する第三者弁済のように、最終的には対価関係上債務者が債権者に弁済をせざるを得ない場合でも、給付者がそれを前提に債務者に対する求償をすることが許されないことがある。)、対価関係と関連づけてもなお当該給付を受取人において保持できないときは、反面対価関係上の債務は消滅せず、振込依頼人は利益を得ないため、補償関係当事者間では不当利得関係が生じないことになる。

3  そこで、本件において、振込入金された金員を債務の弁済として受取人において保持することができ、振込依頼人においては債務消滅という利益を享受するものとみることができるかどうかを検討する。

まず、振込が振込依頼人と受取人との間では支払手段として機能していることはいうまでもないが、一方、振込送金取引において、銀行は振込依頼人と受取人との間の資金移動の目的・原因等について関知すべき立場になく、また、仕向銀行は被仕向銀行に対し受取人口座への入金を委託するものにすぎないから、振込送金につき、それ自体、仕向銀行にとつて、受取人に対する(振込依頼人の債務の弁済としての)給付としての性格を有すると解することには疑問の余地がある。また、振込送金は、あくまでも振込依頼が存在することによつて、振込依頼人にとつて弁済としての性格付けがされるにすぎない。したがつて、振込依頼と結び付かない振込送金に振込依頼人の債務の弁済としての性格を無条件に肯定することはできない。本件では、振込実行前の振込依頼の撤回があつた(振込依頼の撤回は、振込委託契約の解除と解されるから、一般に被仕向銀行における受取人口座への入金記帳前には自由にできるものと解されており、少なくとも、仕向銀行からの振込送金手続実行前には自由にできることは争いがない。)ことにより、振込事務処理の時点においては右依頼は存在しないのであり、しかも、振込入金されるのは被仕向銀行、仕向銀行の資金であるから、受取人において対価関係において振込依頼人に対して債権を有しているからといつて、そのことだけから直ちに右振込入金を自己に対する給付とし、債務の弁済に当たるとしてその保持権限が生ずるとすることには疑問がないわけではない。

4  さらに、右の点をひとまずおき、仮に振込入金を客観的、実質的に見て第三者たる銀行による振込依頼人の債務の弁済行為と見ることができるとしても、本件では、前記のとおり、振込依頼の事前撤回の事実が認められるから、振込依頼人の弁済をしないという意思が明白であり、しかも、振込依頼人において被告の前記報奨金支払債権に対する反対債権となる八月分の代金債権について履行を求めていたという事情も認められる以上、原告の振込送金は振込依頼人である債務者の意思に反することは明らかである。したがつて、債務者の意思に反する第三者弁済(民法四七四条二項)に当たり弁済としての効力は生じないものというべきであり、この場合、原告は、債権者たる受取人に対して弁済金の返還を請求することはできるが、債務者たる振込依頼人に対しては不当利得の返還を請求することはできないものと解される。

5  以上のように、本件において、事前撤回を看過した仕向銀行による振込送金に弁済としての効力を認めることはできず、これによつては振込依頼人の報奨金支払債務は消滅しないものと解される。したがつて、対価関係に瑕疵ある場合と同様の利益状況にあり、受取人において振込入金された給付を保持する根拠はないから、給付関係には法律上の原因がなく、他方、補償関係が欠ける当事者の一方に利得は生じない。

6  また、仮に被告の主張を前提とすると、振込依頼人が適時に依頼を撤回したにもかかわらず、銀行の過失によつて銀行により振込送金がされてしまえば、対価関係として受取人の振込依頼人に対する債権が一応存する以上、結果的に振込依頼人の意思に対するにもかかわらず受取人に対する給付がされたことになり、しかもそれが弁済として受取人において保持できるということになる。そして、銀行は振込依頼人に対して不当利得返還請求ができることになる一方、振込依頼人は、依頼撤回の看過による損害賠償請求債権(例えば、相殺や同時履行の抗弁を主張する機会を失つたことによる損害、期限の利益を失つたことによる損害等)をもつて相殺する外にこれを拒めなくなる。これは、被告主張の立場からすれば、不当利得の理論上やむを得ない結論ということになろうが、依頼撤回の看過という銀行の過失に端を発したことにかんがみると、極めて常識に反する対処を求めることとなる。

7  よつて、仕向銀行における振込手続実行前に依頼が撤回された本件においては、不当利得関係は、仕向銀行たる原告と振込依頼人の間で問題とすべきではなく、給付関係当事者である原告と被告の間で処理されるべきものと考える。

このように解した場合、後記三4記載のように振込を信じた受取人に損害が生じたときは、銀行の過失によつて生じた損害として銀行に対する損害賠償請求権を認めることが可能であり、これを反対債権として銀行からの不当利得返還請求権と相殺することができ、これにより受取人と銀行との間で実質的公平に適つた解決が可能となろう。

三  主位的請求に関する争点3について

1  被告は、さらに、主位的請求に関する争点3記載のとおり、代理権消滅後の表見代理又は追認により、本件振込入金は振込依頼人による弁済として有効であり、被告はこれを保持する法律上の原因があると主張するので、この点について検討する。

2  振込依頼人と仕向銀行の法律関係は、振込依頼人が仕向銀行に振込金相当額の資金を払い込み、被仕向銀行における受取人名義の預金口座への一定金額の入金(具体的には、仕向銀行から被仕向銀行に対して右入金依頼をすること)を委託し、仕向銀行がこれを承諾することによつて成立する契約であり、民法所定の委任契約ないし準委任契約と解される。

仕向銀行においては、振込依頼人の依頼に基づいて被仕向銀行の受取人名義口座への振込入金手続を行うにすぎない。これは、確かに、最終的には振込依頼人の計算において行うものであり、振込依頼人による弁済の効果を認めることの説明として、あるいは被仕向銀行と振込依頼人との関係等の説明のために銀行を振込依頼人の代理又は使者と構成する考え方もないわけではないが、仕向銀行は、被仕向銀行との関係においては自己の資金・計算において決済をするのであり、被仕向銀行に対し自己の名をもつて委託をするのであつて、振込依頼人の代理人又は使者として行うものではなく、被仕向銀行についても同様であるから、少なくとも銀行の立場からみて、振込依頼人の名で、又は振込依頼人に直接法的効果を帰属させる意思で、銀行自身が受取人に対して給付ないし弁済を行うものではない。

したがつて、振込依頼人と仕向銀行の(準)委任関係には、弁済・給付に関する代理関係は含まないものと解すべきであり、振込依頼をもつて銀行の判断に基づく取扱い(仮にそれが過誤的扱いであつても)について受取人に対しては振込依頼人自らに法的効果が帰属することを受容するような授権行為であるとも認められない。

3  被告は、振込依頼人が原告に対し継続的に振込依頼をしてきたこと等をもつて代理関係及び授権表示があると主張するが、右事実をもつて、受取人に対して原告を振込依頼人の債務の弁済についての代理人とする旨の授権表示をしたものと解することはできない。

すなわち、振込依頼の右性格からすると、これを反復継続したからといつて銀行を振込依頼人の代理人として位置付けることはできない。また、振込依頼をしたとしても、振込依頼人において受取人に対し振込通知を発するわけではなく、銀行による振込の事実自体を授権表示とみることもできない。そして、振込依頼は個々の振込によつて完結するものであり、振込依頼人・受取人間の支払決済において当該仕向銀行・被仕向銀行を通じての振込を利用する旨の合意や従前の慣行をもつて、振込依頼人が右銀行に代理権を授与したとか、その旨の表示があつたものとみることもできない。

4  そもそも振込依頼に際し振込依頼人において振込依頼をした旨の通知を受取人に対して発しているものではないから、一般に振込依頼人が振込実行日前に仕向銀行に対し振込依頼の撤回の意思表示をした場合、仕向銀行に対する右意思表示以上に、受取人に対し振込依頼の撤回をしたことを通知することまで振込依頼人に期待し得るわけではない。そうすると、一方において、仮に振込依頼をもつて授権があり、振込をしたこと自体が授権表示であると解するとすると、ほとんど常に受取人は入金記帳段階で善意無過失となり、振込依頼人との対価関係(取引関係、実質関係)において別途解決されるまでは、入金された金額を振込依頼人による弁済・給付として保持し得ることとなつてしまうが、振込依頼人に振込実行日前に振込依頼を撤回しているにもかかわらず、銀行に対する撤回以上の措置を求めて、この結果を受忍すべしとするのは妥当ではない。

結局、振込依頼人の責に帰すべき行為により受取人に対して信頼の基礎となるべき外観が作出された後の撤回であればともかく、被仕向銀行への送金手続前に振込依頼が撤回されていたにもかかわらず銀行の過誤により振込が実行されてしまつた本件のような場合には、振込依頼人の外観作出への帰責事由を肯定するに足りず、外観法理を適用すべき状況が存するとは考えられない。

このような事案においては、被仕向銀行における入金記帳に対する受取人の信頼については、善意の不当利得者に対する返還請求の範囲の制限(民法七〇三条)による保護が図られれば足り、それを超えて振込依頼人による弁済としての効果を認めてしまうことまでは必要でないし、妥当とは解されない。

確かに、受取人が被仕向銀行からの振込入金通知を信じて債務の弁済があつたものと考え、時効中断措置その他の債権保全措置を怠り、又は担保解消の措置を講じたりしてしまうことが考えられないわけではないが、これに伴つて受取人に損害が生じたときは、銀行の過失によつて生じた損害として銀行に対する損害賠償請求権を反対債権として相殺をすることにより受取人と銀行との公平は保たれよう。また、振込依頼人が担保解消措置に際して受取人の誤解を積極的に利用したときには、振込依頼人の損害賠償義務を肯定すること等もあり得よう。

したがつて、本件のような事案において表見責任を認めなくても、特段の不都合は生じない。

以上によれば、振込依頼の撤回がされたにもかかわらず行われた振込が表見代理によつて有効になると解することはできない。

5  右のとおり、仕向銀行による振込を代理行為とみることはできないから、無権代理の追認ということは考えられないが、別途、無効行為の追認、転換として(すなわち、振込依頼人が改めて振込依頼を追完することによつて、遡つて)本件のような振込が有効となることが考えられないわけではない。しかし、前記認定のとおり、振込依頼人が、被告に対する振込終了後原告の要請に従つて被告に対する振込分の決済のため小切手を振り出したことは認められるが、これは表面的処理のためということで原告担当者の要請に取り敢えず応じたものにすぎず、その後原告が自らのミスを認めたために正規の決済には回されなかつた形で処理されたこと、さらに、九月二七日から同月三〇日にかけて、振込依頼人及び原告において中央信用金庫綾瀬支店や被告との間で返還の交渉を続けていたことも認められるから、前記事実をもつて、振込依頼人による追認があつたと認めることもできない。

四  以上によれば、被告の振込金の受取りは、法律上の原因を欠くものであり、他方、前記認定のとおり原告にはこれに相当する損失が認められるから、その余の点について判断するまでもなく、原告の主位的請求は理由があるので、これを認容する。

(裁判官 川神 裕)

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